
人物概要
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770年12月16日頃〜1827年3月26日)
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770–1827)は、ドイツ生まれの作曲家。交響曲第5番「運命」や第9番「歓喜の歌」などで知られ、古典派からロマン派への橋渡しをした音楽史上の革新者とされる。青年期から聴力を失い、完全な難聴となった後も作曲を続けたことで「音楽家としての限界を超えた存在」と称されることも多い。苦悩と孤独を抱えながらも内なる音を信じ、音楽で人類愛や自由を表現し続けたその姿勢は、現代にも深い共感を呼んでいる。
ReTadoruタイプ:「内的構築者 × 表現衝動 × 革命的アウトプット」
交響曲第5番「運命」、第9番「歓喜の歌」など、誰もが一度は耳にしたことのある名曲を生み出した作曲家、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン。
その名はクラシック音楽の代名詞として世界中で知られています。
けれどその人生は、決して華やかでも順風満帆でもありませんでした。
彼は父親から無理やり(虐待とも言えるやり方で)音楽をさせられることから音楽家としてのキャリアをスタートします。
そして音楽家として才能を開花させ世間に認められるものの、「難聴」という致命的な障害を抱え孤独と絶望のなかで生きました。
それでも作曲をやめなかったのは、才能があったからというより、やめることができなかったからかもしれません。
耳が聴こえなくなってからこそ、彼の音楽はより深く、より遠くへと届くようになっていきます。
それはまるで、自分自身の内なる声を信じ続けた結果のようにも見えます。
ベートーヴェンは歴史に名を残した偉人で、きっと圧倒的な才能があると言えるでしょう。
ですが「幸せな人生だったのか」と問われると、他者からの捉え方は三者三様かと思います。
この記事では、そんなベートーヴェンの人生を「苦悩」「特性」「価値観」の視点から読み解きながら、
自分らしい生き方——“しっくりくる人生”とは何かを、少し立ち止まって考えてみたいと思います。
幼少期の才能と家庭の闇。音楽が唯一の希望だった
1770年、ベートーヴェンはドイツのボンで、音楽家の家に生まれました。
父は宮廷歌手でしたが、アルコール依存と暴力的な性格で、家庭環境は決して恵まれていたとは言えません。

幼いころから「第二のモーツァルト」として育てられ、厳しい音楽訓練を課されます。夜中でも叩き起こされてピアノの練習をさせられることがあったとされ、学校教育もほとんど受けられなかったようです。
それでも、彼は音楽にのめり込み、10代には宮廷での演奏や伴奏者として活躍しはじめます。
音楽が、唯一彼を評価してくれる世界だったのかもしれません。
ウィーンでの名声と、聴力の喪失という絶望
20代で音楽の都ウィーンに移り住むと、彼はピアニスト・作曲家として一気に頭角を現します。
貴族や音楽愛好家たちのサロンで引っ張りだこになり、演奏会も大成功。モーツァルトやハイドンの系譜を継ぐ新星として注目されていきます。

当時の音楽家は貴族や教会に仕え、職人としてリクエストに答えた作曲をしたり、パーティーで演奏して生活していました。
ですがベートーヴェンの時代には活版印刷が普及した背景などもあり、彼は楽譜を印刷会社に売り込むなどして生活した「史上初のフリーランス音楽家」としても成功していました。
しかし、その名声のピークとほぼ同じ時期から、耳鳴りや難聴といった症状が現れ始めます。
周囲に隠しながら演奏を続けていたものの、次第に会話すらままならなくなり、人と距離を置くようになっていきます。
1802年、彼は静養のために訪れたウィーン郊外・ヘイリゲンシュタットで、弟たち宛に《遺書》を書き残します。
その中で、「死を考えるほどの苦しみがあったが、芸術がそれを思いとどまらせた」と述べています。
理想と現実のギャップがとんでもない
聴力が完全に失われた後も、ベートーヴェンは作曲を続けました。
しかもその後に生まれたのが、交響曲第5番「運命」、第6番「田園」、第9番「合唱付き」など、後世に多大な影響を与える名作たちです。

ベートーヴェンの音楽は「自由」「平等」「人類愛」など、啓蒙思想的で崇高なメッセージに満ちています。
(啓蒙思想とは、18世紀ヨーロッパで広まった「理性」や「個人の自由」を重んじる考え方です。
啓蒙思想以前は全てが「神」で説明されていましたが、啓蒙思想によって理性で世界は良くしていけるという考えが普及し現代に至っています。)
ベートーヴェンは啓蒙思想が普及真っ只中という時代に生まれ、フランス革命などの人類が自由や平等を獲得してく様を体感し、めちゃくちゃ影響を受けています。
それゆえに、第九ではフリードリヒ・シラー「歓喜に寄す」を原詩に、「すべての人々は兄弟となる」という詩を入れています。
自由や平等、人類愛という思想が、ベートーヴェンの理想や意義となっていたのではないでしょうか。
でも一方で、彼の実生活はというと...
- 幼少期は父親のDV・アル中
- 難聴と孤独
- 恋愛は一度も実らず、生涯独身
- 甥との養育権争いで裁判・軟禁状態
- 家政婦とは喧嘩ばかり
- 引っ越しは一生で60回以上
- 最晩年には暴力的な妄想や幻聴もあったとされる
…と、かなり破綻した人生です。
しかも精神医学的にベートーヴェンのことを分析すると
- 双極性障害
- パーソナリティ障害
- トラウマ・PTSD
- 発達的傾向
といった、様々な傾向が見られるそうです。
このような難聴、人間関係の破綻、DVやトラウマといった現実の中、自由・平等・愛を自分の音楽に注ぎ込んでいった。
その結果、後世の私たちが聞いても色褪せず感動するような音楽が生まれたのではないでしょうか。
果たしてベートーヴェンが自身の人生に納得していたかどうかは分かりません。
ですがネガティヴな面もポジティブな面も含め人間であり、2面性を抱える人ほど特異な人生を送るのかな...と感じました。
ベートーヴェンの才能と価値観(ReTadoru的タイプ分析)
ReTadoruでは、“ついついしてしまうこと”や"なんだかんだやめられないこと"=才能と捉え、その人の自然な特性や価値観をもとに、しっくりくる人生のヒントを探ります。
ベートーヴェンの場合、以下のような才能と価値観が浮かび上がってきます。
【ベートーヴェンのついついやってしまうこと=才能】
◉ 音を構築せずにはいられない
耳が聴こえなくなっても、頭の中で音を組み立てていった。
形式や理論にしばられず、それでも論理的に緻密な作品をつくる力は特筆すべきものだった。
→ 才能名:内的構築者/音響建築士
◉ 伝えたい衝動を音楽にぶつけてしまう
政治的失望、人間関係の摩擦、孤独や憤りといった感情を、音楽という形で外に出していった。
言葉よりも、音で伝えることが自然だったのかもしれない。
→ 才能名:表現衝動型クリエイター/魂の翻訳者
◉ 枠に納まりきれず、破壊と創造を繰り返してしまう
交響曲やソナタの形式を理解しながらも、それを突破していく。
常に「次の音楽」「誰も聴いたことのない音」を模索し続けた。
→ 才能名:音楽の異端児/形式の破壊者
【ベートーヴェンの価値観】
◉ 自分の内面に誠実でいたい
どれだけ周囲から期待されても、「本当に納得できる音」でなければ発表しなかったという。
→ 才能名:内面誠実主義者/真実信奉者
◉ 不完全でも、世界とつながっていたい
第9交響曲「歓喜の歌」では、人類の連帯と理想を歌い上げた。孤独を感じながらも、人間への信頼を捨てきれなかったのかもしれない。
→ 才能名:音を通じた共感者/理想接続者
◉ 不自由な世界で、自由を叫びたくなる
障害や社会の制限に屈せず、音楽で自由を表現したいという意志が随所に表れている。
→ 才能名:不屈の表現者/抑圧下の革命家
こうした“自然に出てしまう行動”や価値観を、社会や時代に押し込めるのではなく、音楽という形で昇華したこと。
それが、ベートーヴェンの原動力になったように思います。
ベートーヴェンの人生から生まれる私たちへの問い
ベートーヴェンは好きで音楽を始めたわけではないと思いますが、結局音楽が生きる糧となっています。
才能というと生まれながらに持っている輝かしいものという印象を受けがちですが、「なんだかんだ言いながら続けてしまうこと」「やめることができないこと」が才能と言えるかもしれません。
またベートーヴェンほど後世に名を残す天才でも、本人が幸せだったかどうかというと...どうなんでしょうか。
いったい幸せとは何なのか、考えされられます。
ベートーヴェンの人生を学び、思ったことが2つあります。
あなたはどう考えますか?
- あなたの「なんだかんだ言ってもやってしまうこと」は何ですか?
- あなたは自身の幸せが何か言葉にできますか?
どちらもReTadoruのテーマとなる問いです。
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